1月の例会
【午前の部】
2025.1.19開催。参加者6名。
総会後に『勇気づけのうた』を全員で音読。(8)~(12)を読み直し、自身のエピソードと照らして各々発言しました。その後(23)の「互いの立場を認めてやってみる」の部分がよくわからないとの意見を出し、これについて話し合いました。話し合っても意見があわなくて 平行線になってしまうとき
無理に一致をめざすのはやめて 互いの立場を認めてやってみる
まずメンバーさんから、勇気づけのうた(6)(12)(21)が関連するとの発言がありました。
(6)・・・対等の位置で互いに助け合う
(12)・・・それでも善意であるには違いなく・・・
(21)・・・どういう部分で力を合わせるか どういう部分で相手に任せるか・・・
続けて別のメンバーさんが今年1月開催のAIJシンポジウムのテーマ『「違い」と「平等」』から、「価値の平等」についてシェアしてくださいました。
「価値の平等とは、自分が正しい/勝っている、相手が間違っている/劣っている ではなく、違いを認めること。考え方や能力などは人それぞれ。8/8 もいれば、20/20もいて、0.5/0.5もいるが、どれも1/1(同じ価値)である。」
そこで、私のエピソードと絡めてさらに話し合いました。
今回出した事例は繁忙期の職場でのできごとです。昼休憩から戻ってきた社員Aさんはすぐ仕事に戻らず社員席でのんびりしていたため、鳴った電話を昼休憩前の私が出る羽目になった、という内容でした。Aさんは現在うつ病で遅刻や欠勤が多く、Aさんがいない時は当然私たちに負担がかかっています。それなのにAさんからの感謝や労りの言葉がないうえ、さも当たり前のようにふるまう姿に、病気と割り切っていてもいつも悶々としていました。この日も全員がてんやわんやする忙しさにもかかわらず、適当にサボっているAさんを見て、私は-4の陰性感情を持ちました。
メンバーさんからは、
・「サボっている」は私の意見である。
・電話が鳴った時にAさんが一旦腰をあげたのは電話に出る意思があったのではないか?
(解説:電話が鳴った時、Aさんは数コール後にようやく腰をあげたものの、私が先に出たので座り直しています。私が電話対応を終えて休憩に入る時もまだ席でゆっくりしていました。ちなみに電話機は社員席ではなく2~3m先にあります。)
・元気そうに見えても、繁忙期だからと頑張って出勤したのではないか?
・昼休憩から戻ってもしんどくて、すぐ仕事に戻れなかったのかもしれない。
・断られてもいいという構えで「お昼行くので電話お願いしていいですか?」などと頼んでみてはどうか?
という意見が出ました。確かに病気なのだからしんどいのは当たり前で、そんな状態でも周りに迷惑をかけないために出勤していたのかもしれないと思い直すと、Aさんに対する悶々としていた気持ちが柔いでいきました。
以上のことから、Aさんの仕事ぶりは以前とは違うし私が考える質量ではないけれど、今のできる範囲で出勤し仕事していて、Aさんなりの1/1で貢献しているのだと尊重すること。そして私ばっかり!と負担に思うのではなく、時には協力をお願いするなどして、私は私の1/1で貢献すること。それが「互いの立場を認めてやってみる」ということではないかと事例を通して理解できました。
今は病気のためAさんの仕事量は激減していますが、それでも職場にとって必要な人です。足りない部分を補い合って、ともに貢献できればいいのだという思いに変わりました。
ご意見くださったメンバーさん、ありがとうございました。
【午後の部】
参加者4名で、カウンセリング演習を2例行いました。私はカウンセラー役、クライアント役をそれぞれ担当させていただきました。
1例目はカウンセラー役で、親子のやりとりを分析しました。
具体的なエピソード等は割愛し、シェアリングで指摘されたことを挙げます。
①背景情報をしっかり収集して、エピソードで起こっていることをおさえる。
②開いた質問と閉じた質問の使い分け。
③エピソードの解決だけでは不十分。これからのことも考えた代替案を導くのが理想。
これらを踏まえて、2例目はクライアント役をさせていただきました。
事例は、旅行の行き先について夫と話し合った時のエピソードです。私たち夫婦は相談事をする時に言い合いになり話し合いが続かないことがよくあります。喧嘩せずに話し合いをするにはどういう意識や言葉がけをすればいいのかについて分析していただきました。
カウンセリングが始まり、カウンセラー役の方はまず名のってから、今日はどうされましたか?と尋ねた後、私と夫の家族関係(親・きょうだい)や同居かどうか、レポート、エピソード、その前後に陰性感情はあったのか、またその状況、どう解決したいと思っているのかを聴取して初めて「今のお話を書き上げていきたいのですがよろしいですか?」と言ってから板書されました。この段階から既に背景情報の収集は始まっていたのです。
後のシェアリングでこの事に触れると、背景情報を収集し、ある程度の方針が決まるまで板書はしないのだと教わりました。
私の先のカウンセリングでは、まず名のり忘れ、今日はどうされましたか?の後、いきなりエピソードを聴いて板書しています。背景情報は板書後に家族関係や過去の親とのやりとりを少し質問したぐらいで、エピソードの前後の状況や陰性感情の有無も聴けていません。情報量が少ないがゆえに方針もあいまいで、いきなり反省点が満載です。
また、カウンセリングの中で、カウンセラー役の方は開いた質問と閉じた質問を意識的に使い分けしておられると感じました。例えば、「○○について一緒に考えていくということでよろしいですか?」、「この時は××とお考えだったんですよね?」など、私の意思や考えを確認する際に閉じた質問を使っておられるようでした。
一方、私の思考や背景情報を聴取する時は徹底して開いた質問を用いているようでした。例えば「(思考の中で)どれが一番気になりますか?」「その事についてもう少し聴かせてもらっていいですか?」「夫さんはどんな人でしょうか?」「他にもそういうことはあるんですか?」「どんな風に仲がいいんですか?」という具合に。
私のカウンセリングを振り返ってみると、その使い分けができてなかったように思います。クライアント役の方に「一人っ子ですか?」と(無意識に)言っており、後のシェアリングで「ここは『ごきょうだいは?』ですね」と指摘されて初めて気がつく有様です。この使い分けについては普段から意識していきたいところです。
最後に、私のカウンセリング後のシェアリングの中で、「エピソードの解決だけでは不十分、これからのことも考えた代替案を導くのが理想」だと教えていただきました。
今回の事例で出た私的感覚は、プラスが「相談して物事を決める」、マイナスが「独断で物事を決める」でした。私は夫のことを自分本位で私の意見を聴かず独断で決める人だという思い込みがあったので、夫の返答にいちいち、また自分勝手に決めて!と考え陰性感情を感じて葛藤に陥っていました。ところが分析していただくとそんなことはなく、むしろ夫は歩み寄ってくれているし、ただ私の質問に的確に答えているだけだったのではないかと思われました。このことから代替案は「的確に返答しているだけだと意識して、あなたはそう考えているのね、と言葉がけをする」となりました。
しかし「今後も同じ状況になった時のために、それ(夫は的確に返答しているだけ)を意識できる何かいい方法はありますか?」と質問されハッとしました。確かにこのエピソードでの代替案は出ましたが、果たして実生活で似たような場面になった時に、忘れずにちゃんと思い直して実践できるのでしょうか?今後も夫婦で仲良く暮らすためには私の夫に対する思い込みを変えないと、いつまでも同じことの繰り返しです。意識するための何か強烈な印象が欲しいところです。
そこで一緒にあれこれ考えてみた結果、カウンセラー役さんの提案でロールプレイをしてみることになりました。「夫は歩み寄れるし的確に答える人」という考えを意識してロールプレイをしてみると、あっさり平等の位置に戻り楽しく話し合いが続いていきました。以前葛藤解決の講座に参加した時、大竹先生から「自分も相手も葛藤状態から平等の位置に戻ったなと腑に落ちる瞬間がある」と教えていただきましたが、まさにその感覚を味わいました。
カウンセラー役の方から改めて「また独断で物事を決めて!と感じられた時はどうしましょう?」と尋ねられ、「今の感覚を思い出して、夫は的確に答えているだけと思い直して対応します。」と素直に答えることができました。これがこれからのことも考えた代替案なのだと実感し、クライアントの先の人生も含めて考えるのがカウンセリングなのだと学びました。技術や知識はもちろん、包括的に捉える力や、何より目の前のこの人のために何ができるのかを考え人を思いやる心を養う必要を感じました。
今回の実習を通して本当に良い学びをさせていただきました。実習でご協力くださった方々、ご意見くださったメンバーの皆様、ありがとうございました。
2月の例会
【午前の部】
午前の部は7名の参加でした。新しく来られた方や、初めて顔を合わせる方がおられたので、一人ひとり自己紹介をしてから、エピソードを話しました。自己紹介では、アドラー心理学に出会ったきっかけについて話すことが多いです。その中で、参加者のお一人が、野田先生との出会いを話してくださいました。初対面のときに、先生に「あなたは選べるのよ」と言われて衝撃を受けたそうです。実際は、野田先生ともう一人の先生がいらっしゃって、二人のうちどちらからカウンセリングをするか選べる、という意味だったのでしたが、「選ぶことができる」という言葉に強く感動されたそうです。この話は、この日の例会の一日を通して、私の印象に残り続けました。
その後、『勇気づけの歌』をみんなで読み上げました。自分のエピソードと照らし合わせて感じたことや思ったことを発表しました。私は以下の偈について取り上げました。
感情使えば相手は敵になる
味方でなければ協力難しい
「よかった」と言って感情落ちつけて
冷静になって仕事にとりかかろう(8)
私は、仕事で同僚に対して感情的になったというエピソード(詳細は午後の部で扱います)を発表したのですが、この偈のように、「よかった」と言って感情を落ちつかすことが必要だと思いました。
つづいて、グループでエピソード分析を行いました。エピソードは、詳細は控えますが、クライアントさん本人が絵画教室の先生で、生徒さんが相手役でした。生徒さんが新しい絵画作品にチャレンジするのをためらったときに、驚き不安になった、というエピソードを扱わせていただきました。
私は今回初めて「書記」を担当させていただきました。ホワイトボードの前に立つと、いつも座っている位置とちがい、クライアントさんの表情がよく観察できると思いました。
エピソードを書き取り、感情の名前と点数を付けました。次に、マイナスからプラスの矢印を書きます。このアドラー心理学では定番の「矢印」を初めて書いたときに、内心では「初めて書いた!」と感動しておりました。さて、選んだライフタスクを矢印のマイナス部分に記入。対処行動を矢印の中心に記入。その次は、矢印の先に仮想的目標を書き出しました。このときに、クライアントさんの言葉を逃さないように注意が必要でした。陽性感情がプラス5になるまで待つのですが、その時にクライアントさんが自分の力でプラス5になる目標を話し出したときに、クライアントさんの「呼吸」のようなものを感じられたと思うのは、午後の部で後述する「神戸でのオープンカウンセリング(のシェア)」が影響しているのかもしれません。
さて、仮想的目標を競合的と取り、私的感覚を出していきました。ライフタスクでの思考を聞き出すときに、ホワイトボードに書き出すのを忘れないように気をつけなければなりませんでした。思考から、「そうするとどう都合が悪いのか」をさらに聞き出し、私的感覚のマイナスを出していきました。無事、マイナスとプラスが出て、記入することができました。
以上のように、私は書記を初めてしましたが、そのことによって学んだことは、エピソード分析をするにあたり、ホワイトボードに書きだされた言葉はすべて、クライアントさんから出てきた言葉だ、という実感です。また、書き逃さないために、クライアントさんの言葉を聞き取ることに集中したことで、クライアントさんが自ら言葉を発する瞬間に立ち会えた、と実感できたことです。
エピソードの内容や、グループカウンセリングの様子ではなく、私の初めての書記に特化した報告となり、申し訳ございません。エピソードを提供してくださったクライアントさんに感謝いたします。ありがとうございました。
【午後の部】
午後からは、カウンセリング練習、そして2月9日の神戸でのオープンカウンセリングのシェアリングを行いました。参加者は5名でした。
カウンセリング練習では私のエピソードを扱っていただきました。
エピソードは、職場での内容です。日々の業務が多い中、部下(Yさん)に業務を頼まれたときに、イラっとしたというエピソードです。
このエピソードを扱うにあたり、解決したいことは何か? とカウンセラーさんに問われました。そこで私は、「もやもやしている感情をどうにかしたい」と答えました。そのままカウンセリングは進みましたが、ここでグループのメンバーからストップがかかりました。というのも、「感情をどうにかしたい」というのはカウンセリングの目的にならない、ということです。そこで、カウンセラーとクライアントが協力して取り組めるように、「感情的にならずに、協力して仕事ができるようにしたい」という課題に変更し、カウンセリングを行うことに修正しました。
エピソードの内容は以下のようでした。
Y:Mさん(私)が連絡帳を書いてくれるってうわさですよ。
私:え~、誰かが書いてくれたら嬉しいな。
Y:そうですねえ。
(私は連絡帳を書こうと決意して体温表を探した。)
Y:はさむやつですか? ここですよ。週末にはさむやつはここです。(マイナス3、怒り)
私:はい、わかりました。ありがとうございます。
ライフタスクは、「はさむやつですか? ここですよ。週末にはさむやつはここです」。対処行動は、「はい、わかりました。ありがとうございます。」としました。そこから出て来た仮想的目標は以下の通りです。
「手伝いましょうか?仕事忙しいですもんね。チーフとしてしないかん仕事とか、委員会の仕事とか報告書とかもやらんといけないですもんね。私とAさんでやりますわ。」
こちらで陽性感情がプラス5。対処行動の結果であり、これ以上何もする必要がありません。文章が否定形でもありません。この仮想的目標を「競合的」ととり、私的感覚を出してもらいました。
プラス:みんなの仕事をみんなでする
マイナス:みんなの仕事を一人に負わす
このあと、Yさんの良い面と私の良い面を出してもらいました。
しかし、代替案を出す前に、時間が60分を超過していたため、今回はここで終了となりました。仕事のタスクということで、複雑な説明をしなければならないことや、最初の課題の一致のところで中断したということも要因だったと思います。けれども、カウンセリング開始時の課題の一致の大切さについて学ぶことができました。
カウンセリング終了後も、私のエピソードについて、パセージのテキストを参照して、学び合いを行いました。20-Rの「頼み方の4つのパターン」を読み上げました。要求を伝え、相手を傷つけないのが「主張的」。要求を伝えて、相手を傷つけるのが「攻撃的」。要求を伝えないで、相手を傷つけないのが「非主張的」。要求を伝えないで、相手を傷つけるのが「復讐的」。
私のエピソードは「非主張的」であり、これが続けば「復讐的」になっていくだろう、というご指摘もいただきました。
今回のカウンセリングは途中で終わってしまいましたが、分析を通じて、Yさんの良い面や、他の職員の良い面が見えてきました。職員は、みんな各々で仕事を一生懸命にしており、別々でしているけれども同じ職場の「みんなの仕事」であるという気づきを得ました。
また、今回は「連絡帳」という業務についてでしたが、他のたくさんある業務についても、その都度「声をかけたり話し合う」ことで、課題を共有できるように、これからは「主張的」であることを意識しようと思いました。
最後に、2月9日の神戸でのオープンカウンセリングのシェアリングを行いました。カウンセリングで、クライアントさんの言葉を「待つこと」の重要性についての話になりました。そこで、メンバーから野田先生の論文でカウンセリングでの「呼吸」についての大切さが書かれていることについて指摘がありました。
さて、今回はクライアント役をやらせていただきました。カウンセリング練習で積極的にカウンセラー役をされるメンバーの方には、いつも勇気をいただいております。私も早くカウンセラー役に挑戦したいと思っています。そのためにも、日々の生き方を変えなければいけないと、痛感したところでもありました。できることとしては、まず日々のエピソードを細かく記録しようと思います。
最後になりましたが、京都アドラーグループのみなさん、ありがとうございました。
3月の例会
3月の例会は、午前のみとなりました。
6名が参加しました。この日は、いつもの一階の集会室ではなく、マンションの一室で行われ、雰囲気の違う例会となりました。例会の途中に、メンバーの奥様から、コーヒーとチョコをいただくという場面もありました。おいしかったです。ありがとうございました!
さて、まずは4月から6月の例会のスケジュールを決めました。それと、スケジュールのホームページでの掲示の仕方について話し合いました。つづいて、5,6月に行われるカウンセリング練習の日程や参加者についての連絡がありました。
この日は、初参加の人がいなかったので、何をするかを話し合いました。私のエピソードをグループで扱っていただくことになりました。
エピソードは、職場での出来事です。私は知的障害者の就労支援の仕事をしていて、班のリーダーを担っています。ある日、利用者さん(Kさん)との対応について、職員(Aさん)とやりとりを行っているときに、割って入ってきた職員(Bさん)の言動に陰性感情を感じたというものでした。
まずは、私が「何を解決したいのか」ということが話題となりました。「他の職員と協力して仕事ができるようになる」ことなのか、「利用者との対応が上手くいくようになる」ということなのか。今回は、職員とのやりとりで陰性感情が大きかったということもあり、前者の解決をしたい、ということで、みなさんの協力を得ました。先月の午後の部の例会に引き続き、今回もカウンセリングの開始時における「目標の一致」の大切さを学びました。
エピソードは以下のとおりです。
利用者Kさん:Iさんに離れて仕事してって言ってほしいんや。
私:そうですか。そしたらちょっと職員で話し合いますね。
(私:席を立ち職員Aのところへ行く)
私:KさんがIさんと離れて仕事したいって言っているのですよ。とりあえず、Iさんに話してみて席を代わっていいか聞いてみましょうか?
職員A:そうですね。そういえば、Iさんも午前の仕事のときにKさんとの関係がしんどいって言っていましたよ。
私:そしたら、IさんにNさんの席と代わってもらえるか話してみますね。
(職員Bは、私の真ん前の机に座り、書き物をしながら聞いていた)
職員B:そんなんKさんに移動してもらったらいいじゃないですか。(マイナス1.5。不安)
私:あ~、そうですね…。…じゃあ、まあちょっと考えますね…。
(私:席に戻る)
ライフタスクは「そんなんKさんに移動してもらったらいいじゃないですか」。対処行動は「あ~、そうですね…。…じゃあ、まあちょっと考えますね…。」と取りました。
仮想的目標は「急にさえぎってごめんなさい。びっくりしたでしょう。Mさん(私)とAさんでしゃべってはりましたよね。さっきは強く言いましたけれど、やっぱりKさんに移動してもらった方がいいと思うんです。」
この仮想的目標を競合的と取り、私的感覚を出していくことにしました。
ライフタスク「そんなんKさんに移動してもらったらいいじゃないですか」に対する思考は「いきなり言うなあ。確かにそうやねんけど。Aさんも困ってはるで。そんな怒らんでも。」でした。このことでどこが都合が悪いのかを尋ねられて、「いきなり意見を強く言う」ことが都合が悪い、と答えました。
プラス:冷静に意見を伝える。
マイナス:いきなり意見を強く言う。
ここで、メンバーから、「いきなり意見を強く言うことのよいところ」について質問がありました。いきなり意見を強く言うのは、「主張的。物事がきっちり伝わる」というよいところがあると答えました。私的感覚のマイナス面についての、よいところを見つけていく、という作業ははじめてのことでした。同じような場面があったときに、「きっちりと伝えてくれているのだな」というよい面をつぶやいてみることで、行動を変えることができるかもしれません、とアドバイスをいただきました。
さらに、Bさんのよい面を見つけていき、「協力して報告してくれている。助けてくれている。実行力がある。行動力がある。今回のことも、私を気遣って提案してくれたのかもしれない」といったことが出てきて、最終的に「Bさんは頼もしい」ということが私自身から出てきました。今後は、「つよく言っているな」と感じたときも、「頼もしいなあ」とつぶやくことを試して、対処行動を変化させていきたいと思います。
今回の代替案は、一度「びっくりした」とリアクションをしてから、Bさんに「どう思います?」と尋ねる、ということにしました。
ロールプレイをしました。職員Bさん役をしてみると、自分とKさんとのやりとりを客観的に見ることができ、いかに自分が「独り相撲を取っている」かが分かり、もっと他の職員に頼ってもいいと感じ、視野が広がるように思えました。
代替案を演じていると、職員Bさんの話を聞きながら、隣にいた職員Aさんとの話し合いにまで発展していき、チームで話し合うことで解決に向かう道筋が見えてきたのでした。
私は、最近仕事で忙しく自分で仕事を抱え込みがち、という悩みを持っていましたが、このロールプレイの中で、職員BさんにKさんの対応を「振ってみる」こともしました。すると、Kさんがすんなりと職員Bさんの言葉を受け入れる、という事がうまくすすむ、という体験を得ることができました。
他にも利用者Kさん役を演じられたメンバーから、「グループのことはグループで解決すべきでは?」という意見が出されました。利用者対応やクラス運営については、今後に課題として掲げて、解決していきたいと思いました。事例を出して、京都アドラーグループのみなさんの力を借りたいと思っています。
今回学んで実践したいと思う具体的な課題は以下の三つです。
・つよく言われたな、と感じたら、実際に「びっくりした」「頼もしいなあ」と口に出してみる。
・「どう思います?」と気軽に尋ねてみる。
・他の職員に「仕事を振る」練習をしてみる。
こうして並べるとどれも、以前から私の課題である「非主張的」であることから「主張的」になるためのレッスンだと思いました。時折確認して実践したいと思います。
今回も京都アドラーグループのみなさんにたくさんのことを教わりました。メンバーのみなさん、ありがとうございました。
4月の例会
【午前の部】
六名の参加でした。まずは、京都アドラーグループのホームページでの、パセージや講座の紹介の取り扱いの仕方について話し合いました。その後、カウンセリング講習会についてお知らせがありました。続いて、本日はどのように取り組むかを話し合いました。グループでエピソード分析をすることに決めました。
一人ひとりがエピソードを発表しました。そのあと、『勇気づけの歌』をみんなで読み上げました。そして、今回は私のエピソードをグループで扱っていただくことになりました。
職場での出来事です。職場の先輩Aさんとのやりとりで私が陰性感情を起こしてしまいました。この先輩と上手く仕事で付き合っていくためにエピソードを扱っていただきました。
私は知的障害の方の就労支援の仕事をしています。ある日のお昼休みに、ご利用者間でトラブルがあったのでした。その昼休みの出来事が、一旦落ち着いたあと、13時半ごろ。私は職員室に行き、職員室にいるAさんと会いました。そこでのやりとりが、今回のエピソードです。
Aさん:昼休みに職員はいなかったの?(-1、不安)
私:えーいたんですけどね
A:見ていてほしかったなー(-2、不安)
(去っていく)(-2)
私:(Aさんの机に行って)
一応ひとりはホールにいたんですけどね
A:ふーん。(顔をかたむけて)
ホールで歩いてる様子とか見れなかったの?(-1、不安)
私:Bさんですか?
A:うん。いや、昨日の今日やからずっと見といて欲しかったなー…
(顔がゆるんで)
まあ、ずっとは無理やと思うけど…(-0.5)
私:すいませんでした
ライフタスクをどれにするか、について決めていきました。最初の「昼休みに職員はいなかったの?」にするか、二つ目の「見ていてほしかったなー(去っていく)」のどちらにするかについて、グループで意見が分かれました。
定石どおりであると、最初の方を取るということになると思います。ただし、今回は私が「Aさんが去るという行動をした後にどうしようか迷った」と発言したこともあり、それならば後者をライフタスクとするのもよいのでは、という提案があったのです。結局今回は、最初のものをライフタスクとすることにしました。
ライフタスク:昼休みに職員はいなかったの?
対処行動:えーいたんですけどね
次に仮想的目標を出していきました。
「しゃーないなあ。ずっとは見ることはできひんやろうし。3階も忙しかったやろうしな。大変でしたね。別に責めてるわけやないんやで。上司とちゃうのに口出してごめんね。」
仮想的目標を出すとき、私はいつも5点満点中、3、4点のところまではすぐに出るのですが、最後の一歩がなかなか出ません。今回もメンバーの皆さんに手伝っていただき、後半の「責めてるわけではない」というところを出していただきました。
こちらの仮想的目標で、5点満点。これ以上なにもする必要はありません。対処行動の結果であり、否定形の文章ではありません。
この仮想的目標が協力的か競合的かのどちらであるかを判断しましたが、今回は競合的ととり、私的感覚を出していくことにしました。
ライフタスクの「昼休みに職員はいなかったの?」と言われて、私が思ったことは、「・怒られているのかな?・責められているのかな?・しまったな。自分のせいかな。ちゃんと見れていなかったのが悪くて起こったのかな。・上司ちゃうのにな。」といったことでした。
「責められている」と、どう都合が悪いかと問われ、「痛いところをつく」ということが都合が悪い、ということが出てきました。その反対のプラスは、「相手を気遣う」。「相手を気遣う」となる前は、「相手を優しく気遣う」でしたが、メンバーさんの提案で、これからカウンセリングを進めていくうえで使いやすいように、枝葉を切ってこうなりました。
私的感覚
プラス:相手を気遣う
マイナス:痛いところをつく
つづいて、Aさんのよいところを出していきました。「気を配っている。利用者さんのことに気を遣っている。すぐに対応してくれている。仕事を的確にこなしている。」とたくさん出てきました。
また、メンバーの方から、Aさんはグループホームでどのような仕事をしているのか? と質問があり、それに答えているうちに、Aさんがご利用者二人のことをとても心配していた、ということや、日中以外での緊急の仕事など、大変な業務をされていたことが見えてきたのでした。
ここで「勇気づけの歌」の14偈を思い出しました。
「人のおかげで自分はあるのだと
思っていれば人に親切に
相手の目で見て相手の耳で聴き
相手の心で考え生きて行く。」『勇気づけの歌』(14)
それとともに、平等の位置に「ふっ」と着地できた感覚を得ることができました。Aさんも同じ仕事の仲間であり、同じご利用者について、同じ目標を持って働いていたのだ、ということに気づけたのです。
「協力的とは相手を裁かずに
力を合わせて一緒に働くか
相手を信じて口を出さないで
対等の位置で互いに助け合う」『勇気づけの歌』(6)
京都アドラーグループのみなさんに、エピソードを何度も取り扱っていただくことで、解決の糸口や、平等の位置に降りる感覚を、少しずつですが、得ることができるようになってきました。
最後に、メンバーの方から、Aさんは「痛いところをついて」いますか? と質問されました。最初は「?」と思っていましたが、よく考えると、Aさんに「痛いところをつく」という意図はなく、ただ質問をしてみただけ、ということに気づきました。
どうやら、相手は業務上の質問をしているだけなのに、こちらが勝手に「痛いところをつかれた」と思っているだけ、という場合が私には多くあるようです。突然に言われて「反応してしまう」というのは仕方がないけれど、すぐに思い直して相手の立場から考えれば、仕事のこととして受け入れることができるだろう、ということを、メンバーの方から助言をいただきました。
さて、今回の例会が終わって二日後のこと。仕事終わりに駐輪場に行くと、そこでAさんが自転車で困った様子をしておられました。いままでなら、「あっAさんだ」と思ってその場から逃げていたかもしれません。そのときは、近づいていき、よく観察できました。Aさんは、お米を大量に自転車の後ろ籠に詰めていたのでした。グループホーム用のお米を買いに行っていたのです。手伝いましょうか?と言って助け、5kgの袋を二つ持ち、職員室まで一緒に運ぶことができました。
さらに、その三日後。Aさんの退職のお知らせが朝礼で発表になりました。晴天の霹靂でした。せっかく、これから協力して仕事をしていこうと心掛けていたので、残念ではありましたが、最後に悔いのないやりとりができたのは、よい経験だったと思います。
今回も、京都アドラーグループの皆さんにエピソードを扱っていただき、たくさんのことを学ばせていただきました。「痛いところをつかれた」と感じることがあったときは、相手の立場に立って考えることを試し、仕事上で同じ目標に向かっているということを、思い返してみたいと思います。ありがとうございました。
【午後の部】
参加者は2名。2人でのカウンセリング演習は難しいので、質疑応答の時間を作っていただきました。主に「陰性感情をなくすことがカウンセリングの目的にならないこと」を中心に、アドラー心理学のカウンセリングについていろいろお話しさせていただきました。
そもそもこのことについて質問したきっかけは、2月の例会でのカウンセリング演習で、私がカウンセラー役を担当した時にメンバーさんから指摘されたことに起因します(演習の内容についてはメンバーさんが報告された2月のレポートをご参照ください)。クライアント役さんに解決したいことを尋ねたところ「もやもやしている感情をどうにかしたい」と答えられたので、そのままエピソード分析をしようとしました。しかし(当然ながら)そこでストップがかかり、私は初めて陰性感情をなくすことがカウンセリングの目的にならないことを知りました。この時にメンバーさんから教えていただいたのは、下記の通りです。
・アドラー心理学のカウンセリングの目標は人間関係の解決であり、感情をなくすことではない。
・「クライアントがどうしたいのか」ではなく「相手との関わりや職場のシステムをどうするのか」ならカウンセリングができる。
・感情をなくすことをクライアントが望むなら「こういう相談ではカウンセリングできません」と言うことができる。
アドラー心理学のカウンセリングにおいてとても大切な知識だと思いました。それで、このことについてもう少し理解を深めたくて、今回質疑応答の機会をいただき質問してみました。
メンバーさんはホワイトボードで図解しながら丁寧に説明してくださいました。
・平等の位置から劣等の位置に落ちたと感じた時、優越の位置へ向かう行動に勢いをつけるという目的で陰性感情は使われている。
・アドラー心理学のカウンセリングのテーマは「クライアントの行動を変えること」であり、目標は「まず自分(クライアント)が動くこと」。
・『共同体感覚のうた』36、37がアドラー心理学のカウンセリングの本質である。
36 個人が生きる究極目標は
社会の中に居場所を見つけ出し
所属をとげて人から愛されて
仲間と一緒に暮らしていけること
37 そのため人はみんなの幸福を
増進するようすべきことをして
みんなの不幸を招かないために
すべきでないことけっして手を出さぬ
アドラー心理学のカウンセリングは共同体感覚の思想が大前提としてあることを教えていただき大変腑に落ちました。クライアントが共同体感覚に照らした行動ができるよう援助すること、そしてそれは協力的目標に向けた行動であり、具体的には今まで座学で学んできたパセージや各種講義の手法を使って、クライアントが共同体や仲間に対してなにができるかを一緒に考えることがアドラー心理学のカウンセリングであると、私なりに理解することができました。知識として今まで点在していたものが一気に繋がった感じです。
私が今やることは、座学や例会で学んだ知識や手法をことあるごとに見直して、自分自身がそれを体現できるようになることだと改めて気づきました。アドラー心理学はお稽古事であると、パセージプラスのテキスト23-Rにも書かれています。「知る」から「わかる」を経て「できる」段階に至るまで、「協力的目標に向けた行動とは?」を頭にぶら下げながら地道に実践を積み重ねていこうと思います。
今回も多くを学ばせていただきありがとうございました。こうやって一つ一つ理解を深めることができる学びの場と、教え気づかせてくださる先輩・仲間の存在は本当にありがたいです。
最後になりましたが、事例を出してくださったメンバーさん、シェアリングにおいて私の間違いを指摘しご教示くださったメンバーの方々、そして貴重な時間を使ってくださり、私の疑問に丁寧にお答えくださったメンバーさんに心から感謝いたします。ありがとうございました。
5月の例会
【午前の部】
2025.5.25開催。参加者5名。
連絡事項の後、勇気づけのうたを音読。15~19を中心に各自のエピソードと照らし合わせた意見を述べました。その後エピソード分析を行い、私の事例を扱っていただきました。
私はお中元・お歳暮のギフトセンターでオペレータのアルバイトをしています。この仕事を始めて10年以上になるため、受電と併せて新人アルバイトの研修や質問対応も担当しています。エピソードは昨年のお歳暮期のできごとで、68歳の新人アルバイトSさんとのやりとりになります。ちなみにSさんの仕事は、商品のお届けができてないお客様に電話で在宅日時を確認し、判明したら配送業者へfaxで回答するという業務です。faxはお昼、15時、退勤前の3回と決まっています。
Sさんには、私が直接研修を行いました。ゆっくり時間をかけて、マニュアルに沿って丁寧に教えたつもりなのですが、この年代のせいなのか、研修中マニュアルやノートなどにメモしたりせず、頭で覚えようとするところがありました。
業務研修も終わり、数日ほど実際に業務をやってもらって、そろそろ手が離れたかなと思っていたある日のこと。退勤前にfaxすべき回答が残っているのを見つけ、声をかけました。
①私;回答のfax送ってもらえますか?
S;はい。(と言ってfaxの表紙となる頭紙を探し始める。)《-1怒》
頭紙は、、、。(と呟きながら、的外れな場所を探している。)《-1.5怒》
②私;(その様子を見守っていたが、席を移って別の仕事を始めた。)
S;(誰かに聞いたのか頭紙を見つけて、faxの準備をした。)
(3枚セットになっている書類のうち、faxで送るものと送らないものに分けていたが、付箋の付いた書類を見つけ、私のところへ持ってきた。)
S;こんなんついてますけど、これも送るんですか?《-2怒》
③私;それは2枚目(送らない書類)で、送るのは1枚目だけです。だからこのままホッチキスで留めて、完了ボックスに入れてください。
S;(言われた通り1枚目をfaxした。)《-2怒》
表面上は普通のやりとりに見えますが、陰性感情を感じている時点で協力的ではないと感じていました。なにをどう変えれば相手との関わりを協力的にすることができるのかについて知り、今後の仕事に役立てたいと思って今回事例を出しました。
対処行動を、②「その様子を見守っていたが、席を移って別の仕事を始めた。」、その直前の「頭紙は、、、。(と呟きながら、的外れな場所を探している。)」をライフタスクとして出した仮想的目標は次の通りです。
「これだけ丁寧に教えてもらったので、自分で調べるようにします。いつまでも頼ってたらダメですね。Aさん(私)もお忙しいですよね。しっかりマニュアルを見て、それでもわからなければ聞きます(と言って自分で解決する)。」
書類の保管場所などが煩雑で、いくら研修で教えていても最初のうちは戸惑って当然です。まして相手は68歳。一切頼るなと言っている訳ではなく、せめてマニュアルを見るなど自分なりに努力して、それでもわからなければ聞いてもらうのは構わないのです。さらに、私が口出ししないことで自分で調べて解決してくれるなら、それが一番理想的で、私はこれ以上何もする必要がありません。当然+5のキラキラ状態です。一応否定文ではないということで、条件を満たしていると判断され、仮想的目標として扱うことになりました。
これを競合的目標と取り、次にライフタスク時の思考を出しました。
「丁寧に教えたのに忘れるか?メモしてないから忘れるんちゃうん?いつまでも頼られると嫌だから、言われるまで黙っとこう」
ここから私的感覚は
プラス;自分で調べて自分で解決を目指す
マイナス;努力せずにすぐ人に答えを求める
が導かれました。
この私的感覚については、日頃からこう考えているという自覚はあります。しかし、思考を絡めて見てみると、この私的感覚を相手に押し付けていたように感じられました。実際、メンバーさんからも耳の痛いご指摘をたくさんいただきました。
Sさんが頭紙を探していた時、自分でマニュアルを見て解決してほしいなぁと考えて私は見守っていたつもりでした。しかし思考の中の「丁寧に教えたのに・・・」や「いつまでも頼られると嫌だから・・・」などの嫌悪感を感じている限り、それは決して「見守り」ではなかったのです。
パセージのテキスト14ーL「子どもの課題に口を出す弊害」、16ーL「子どもの課題を共同の課題にする」の中で、子どもから頼まれもしないのに介入することの弊害や、言葉ではっきり頼まれてから手伝うことが書かれてあります。私はこれにならって「見守った」つもりだったのですが、陰性感情がある時点で勇気づけではないと、メンバーさんから言われました。全くその通りです。
また、相手の目線で考えた時、ひょっとしたらSさんは放置されたと捉え、私を仲間でないと感じたかもしれません。「人々は仲間である」と考えながら援助することが大切で、それが勇気づけであるとも教えていただきました。
メンバーさんのご指摘のおかげで、私の勇気づけの理解が間違っていたことに気づくことができました。
以上を踏まえ、エピソードの代替案を考えました。
この場面で「放置」か「声がけ」か、どちらが相手を勇気づけられるかを考えた時、Sさんの年齢や業務を行った日数などを考慮して、「声がけ」がいいということになり、代替案は私の言葉で「わかります?」となりました。
ちなみにSさんはお歳暮期間中、何度も質問して来ましたが、質問が徐々に減るのと比例して、自立できるようになっていました。きっとこの方は、努力せずにすぐ人に答えを求めていたわけではなく、質問を繰り返すことで成長する人であり、これがSさんの努力なのだと思えました。
今回出してもらった私的感覚を一様に押し付けず、この場面ではどうすれば相手を勇気づけることができるかを、その人その人に合わせて都度考えることが、協力的な関わりの鍵になると学びました。もうすぐお中元シーズンが始まりますが、この学びをぜひ現場で実践しようと思います。
たくさんご意見くださったメンバーさんのおかげで一番大切な「勇気づけ」について改めて学ぶことができました。ありがとうございました。
【午後の部】
参加者は3名。野田先生の論文の輪読を行いました。
扱ったのは、「アドレリアン第26巻第1号(通巻第69号)2012年10月」より『エピソード分析』です。お読みの方も多くいらっしゃると思いますが、エピソード分析を開発した経緯や考え方・やり方が書かれた論文です。
興味深かったのは、日本と西洋の言葉の違いの記述です。特に、感情と思考をあらわす言葉の違いを西洋思想史から説明されていて、ドライカース以来使われている西洋のエピソード分析は「日本語で行う場合、極めて難しい」ことが丁寧に解説されていました。当時学んでおられたメンバーさんも、西洋式分析はわかりにくかったと言っておられました。今、自助グループで学ぶ誰もがエピソード分析を習得できているのは、こういった野田先生のご苦労あってのことなのだと改めて感じ入りました。
論文の中で今の私に必要だと思われる記述を引用すると、
「まず協力的な目標を見つけ、それに向かう代替的な行動を見つける。そのためには、アドラー心理学全般についての広い知識が必要である。アドラーやドライカース等の著作を読みこんで、さまざまの考え方ややり方を身につけておく必要がある。」P.5
「アドラー心理学は助言的であると同時に洞察的な方法を用いてカウンセリングをする。(中略)そのためには仮想的目標を的確に推量できることが鍵になる。そのためには、ひとつには仮想的目標というのがどんなものであるかを理論的に正確に理解していなければならないし、ひとつにはそれを尋ねるための豊富な語彙を持っていなければならない。」P.9
「実際にこれ(エピソード分析)ができるようになるためには、かなりの練習が必要であるが、原理さえ明確に理解しておれば、そう難しいことではないと思う。」P.10
論文は、私には難しくて理解できないところも多々ありますが、これを読んで今できることはこういうことだと改めて気合いが入りました。後日始まるカウンセリング勉強会の前に輪読する機会をいただけてよかったです。ありがとうございました。
6月の例会
【午前の部】
午前は女性2名 男性2名の参加でした。
私も含めてご参加されている方皆さんが事例がないとのことでしたが、私のことで 、前日に妻とのやり取りで陰性感情があったことを思い出しました。
妻からは、長年、電気をつけっぱなしにしていることをよく注意されていました。日常のことなので特に気に掛けず、「ああごめん」と言える日もあれば、「うるさいなぁ」と思い返事をしない時があったりということが繰り返されていました。階段の電気、脱衣所の電気、うっかり忘れているのを「拾い漏らさず」注意を受けていると思い、「よくこまめに注意してくれるね」と嫌味を言ったら、「これでも何度かの一回しか言ってません」と言われてしまう状態でした。
それが、めずらしく妻が脱衣所の電気をつけっぱなしにしながら居間に入ってきたのです。最初は少しモヤっとしましたが、(-1)妻は風呂に入るために着替えをとりに来たと思って意に介さずようにしていました。その後妻はすぐには脱衣所には戻らず、猫をなでたりして、その場に居続けます。
5分くらいして私はザワザワとし始めました。
(思考)→「やってるやん、こいつも」
「言わないと気付かないけど、言わんほうがええよな…」(-1~-1.5)
など思いながら、とうとう言うことを「我慢」することをやめ、妻に言いました。
私:(脱衣所の方を指して)「あれは、ええんか?」
妻は少し不快そうに
妻:「今からすぐお風呂に入ろうと思っていたんだけど、(今日取り込んだ)洗濯物をたたんでいなかったから、たたんでたのよ。たまには(あなたが)たたんでくれてもいいんだよっ!」
私:「…そうでしたか。」
その後は、何事もなく妻が風呂から上がり、私が風呂に入りました。
この事例をエピソード分析してもらうことにしました。
対処行動を
「あれはええんか?」
ライフタスクを
脱衣所の電気をつけっぱなしにしてなかなか脱衣所に戻らない妻(-1.5)
にしました。
仮想的目標は
「あ、ホントだ。ごめんなさいね。いつも言ってるのに私がやってるわね。それじゃあ仲が悪くなるよね。」だったのを、肯定文にして「あ、ホントだ。ごめんなさいね。いつも言ってるのに私がやってるわね。お互い仲良くなった方がいいね。」になり、肯定文にすることでプラスの感情が上がる体験をしました。
私的感覚をとるために、思考について、改めて考えてみました。
(思考)「やってるやんこいつも」についてどういうことかメンバーに聞かれ
「人に注意していることを、自分も行う」ことがよくないと返事しましたが。
メンバーから「それの何がよくないの?」と聞かれ、それが当然と思い込んでいたことに気づきました。確かに(人に注意していることを、自分も行うことは)よくないことはない、とも思いました。普段は関係性が良ければお互いに失敗していることを言い合え、より良い状態になっていくことはいいことだと思っていたからです。
今回はなにが違うんだろう…と思いました。
ここで私は、「言わない方がいいよな」とも思っていました。それは、いつも注意をされていたことを「罰」と思い「嫌なことをされている」として捉えていたからです。
ですので「人に嫌なことをする」ことはよくないこと(マイナス)だということに触れていたことを気づきました。(プラスは「人が喜ぶことをする」)
ここまでくると、この場面では「人に嫌なことをしている」のは、私だとはっきりとわかっていました。
ところで、これまで本当に妻は私に罰(私に嫌なこと)をしていたのでしょうか。
妻は普段からとても倹約家で、目に見えるあらゆる節約に「良い意図」で取り組んでいると思います。それを共同の課題として私に協力を求めていることを私は口うるさいことから「罰」と感じていたのだと思います。普段から罰せられていると思っている私が妻に「罰」を与えて仕返すのは、本当によくないな、権力争いだな…と痛感しました。
外から見たら、日常のそんなに波風が立っていない穏やかなやり取りだったと思いますが、やはり普段のこういったことから何が起こっているかを点検する必要性を改めて感じました。
このいわゆる「電気問題」での妻と私の関係性が以前から気になっていたので、改めてしっかりと点検しなおし、「(より)良い関係」になっていくようにしよう、と思いました。
そのためには、まず、こういう場面は、私たち夫婦にとっては話し合える段階ではない、と思いましたので、もし(滅多にないのですが)妻が電気をつけっぱなしにしている時は、当面は何も言わずに妻の失敗と思い、私が電気を切ることにしました。そして、今回の事例を扱っていただいたおかげで、今後妻から注意をされたときは、妻の力の入れている関心どころなんだと、妻の関心に共に関心を持つ姿勢で「ごめんなさい」といえると思えました。
これで、我が家の「電気問題」が解消できると思うと、本当にうれしいので、この文面をときどき忘れないように読むようにしようと思います。
また、今回の体験で「事例がない」と思っていたことについて、確かにかなり事例になるようなことは減ったとは思いますが、人と関わっている以上、少なくとも私においては「まだまだ(事例が)ないはずがない」と思いました。普段からもっとしっかり点検して生活しようと思います。
ありがとうございました。
【午後の部】
午後は、女性2人男性1人の参加でした。
いつもはカウンセリングの練習会なのですが、3人とも事例がなかったので、野田先生の論文「ライフスタイル論をめぐる考察」の読み合わせをしました。
私はカウンセラー養成講座の同期の方と読み合あわせたのですが、その時はとても難しい論文と感じていましたが、先輩方と読み合わせることで新しい角度で見えることもありました。複数のペルソナと背後に1つしかない「私的意味づけ」との関連が丁寧に書かれています。
たった一つしかない背後で動いている「私的意味づけ」の読み解きについて、私もできるようになりたいなぁと思えた論文でした。ありがとうございました。